うちは子供がいなくて
夫婦ふたりで自由気ままに生きております。
とても、気楽です。
でも、なんでしょう
時々
ふと
宿題を一切やらずに迎える9月1日に怯える
8月10日くらいの気分になるのです。
まわりの子育てに追われる友達は
ちゃんと宿題をやっていて、今は大変だけど
きっと9月1日は勝ち組になってんちゃうんかと。
宿題をしていない私は
9月1日にとんでもない痛い目をみるかもしれない!
いわば、死が「引き算」で
出産が「足し算」だとしたら
これから先、我が家には、引き算しかありません。
夫婦ともども、甥っ子も姪っ子もいない
親族に今後「足し算」の兆しが全くない我が家。
最後のゼロまで減る一方。
私は不思議だったのです。
自分の親が、そのまた親の死を受け入れゆく姿が。
でも思ったんです。
ああ、この人には「足し算」もあったんだと。
「足し算」を経てからの「引き算」なのだと。
もしかして、「足し算」で培った忍耐力、包容力、愛情、いろんな感情を知っていると
こんなにも苦しい「引き算」の悲しみが受けとめられて、前を向けるのか?
そしてなによりも最後の「1」を免れた余裕。
じゃあ、私はどうだろう?
結婚の時に「足し算」が打ち止めしきった私に、これから幾度となくくる「引き算」を
受け止めてまともに生きていけるのだろうか?
そこで、気づいちゃったのです。
これが私の宿題なんじゃないかって。
いつくるかわからない最後の引き算の日、すなわち旦那の死、イコール9月1日に
甘んじて「引き算」を受け止められる自分になっておくための準備期間が、今なんじゃないかって。
だから、私、仏教をもっと勉強します。
「引き算」の最後の「1」になったとき
それでも幸せだと言いたいんです。
最愛の人を引き算されて、誰もいなくなっても、明日に希望を持ちたい。
ヨボヨボでも、運命を受け入れて天寿を全うしたいんです。
きっと、お釈迦様のように、悟ることができたなら。。。
真理を知れば、一人ぼっちの世界で悲観的にならず、
ただ現実を受け止めることができるようになるのではないかと。。。
やってみなくてはわかりませんので、とりあえず
私の夏休みがあける9月1日までに悟りに到達できるよう、
仏欲道場で修行いたします。
ということで、仏教サイトを作ることにしました。
自分の勉強と、同じように不安を持たれている方や、ただ単に仏教に興味がるけど、難しいな〜と思われている方たちが
軽い気持ちで仏教に足を踏み入れ、泥沼にハマっていただけるような、そんなサイトにできたらと思っております。
笑顔で極楽浄土へ行けるよう精進します!