仏像の歴史
偶像否定の観念
今ではたくさんある仏像だけど、お釈迦様が亡くなられてから約500年の間は、仏像は作られなかったそうです。
なぜなら昔は「偶像否定の観念」から、尊い神の姿を人間と同じような姿で表現することは、タブーとされていたためでした。
なので、お釈迦様の遺骨が納骨されている仏塔を拝み、お釈迦様は「菩提樹」「法輪」「仏足石」で表現されるにとどまっていました。
菩提樹…悟りのシンボル
法輪…説法の象徴
仏足石…釈迦の足跡
仏像が造られるようになる
その後最初の仏像は、紀元前1世紀後半にガンダーラで造られて、2世紀にはインドでも造られました。
釈迦に会いたいという気持ちが、偶像否定の観念を超えて仏像を作り出したんですね。
最初に造られた仏像は出家後の釈迦の姿で、仏像といえばイコール釈迦如来だけだったけど、
それ以降は「菩薩」や「明王」「天」などたくさんの像が造られるようになっていき、総称して仏像とよんでいます。
日本に仏像がくる
583年の29代 欽明天皇のころ、百済より日本に初めて仏像がやってきました。
仏教が日本にきた頃、有力な豪族である物部氏と蘇我氏の間で激しい対立がありました。
物部氏は仏教反対で日本の八百万の神が怒り災いがおこるといい、仏教支持派の蘇我氏は外国から来た仏像を丁重に扱うべし!と主張していました。
6世紀末に蘇我氏が勝利して、仏教が公認されました。
そのころからは、朝鮮半島や中国との間で僧侶の交流が盛んになってきて、仏師、建築士などもちょくちょく来るようになって、日本で寺院の伽藍や仏像づくりが盛んに行われるようになりました。
積極的に仏教を取り入れたのは聖徳太子(蘇我馬子と協力)で、内乱が続いていた日本で、仏教思想を基本とした政治で統治しようとしました。
ちなみに最初の仏師は、止利仏師(とりぶっし)といい日本で現存する最古の仏像のひとつ、飛鳥寺の飛鳥大仏の作者と伝わっています。